第五話 映画「ある公爵夫人の生涯」の皮肉な後述談



2008年イギリス映画に「ある公爵夫人の生涯」(キーラ・ナイトレイ 主演)というものがあ
った。1774年、イギリスはデヴォンシャー公爵家に16歳(結婚式翌日に17歳)で嫁いだジ
ョージアナ・スペンサーについての映画である。

彼女が故ダイアナ元妃の先祖(正式には弟スペンサー伯の直系子孫)であるし、当時の
社交界評判の美女であったことから、何かと話題になった映画である。第81回アカデミ
ー賞衣装デザイン賞も受賞した。

 ジョージアナの肖像

物語の主軸は、美女の誉れ高い初代スペンサー伯爵の令嬢ジョージアナが英国屈指の
名門デヴォンシャー公爵家の当主、5代目公爵のウィリアムに嫁いだは良いが、社交界
であらゆる人々を魅了し、多くの殿方から愛された彼女なのに、唯一、夫である公爵か
らは冷遇されて生活していくコントラストと、様々なスキャンダル、世継ぎ問題、など当時
の社交界のゴシップをプロットにした「ある女の生涯」だ。

そんな中でも、特に深刻な問題だったのが、世継ぎ問題。そもそも、結婚契約で最も重
要な項目が「男子継承者」をデヴォンシャー公家にもたらすという彼女の責務だったわけ
だ。

ところが、言葉も少なく、情も薄い公爵との愛のない交わりによってもたらされた子供は
皆、女児、もしくは流産だった。

その内、公爵はスペンサー伯爵家の家系に男児出産の血統がないのではないかとか、
お家同士の紛議にまで発展し、ジョージアナの母親が「当家には立派な男児を産めぬ娘
などおりませぬ!」など声を荒げる一幕もある。

ジョージアナも、夫が女中に産ませた娘と自らが産んだ二人の娘という3人娘に囲まれ
て、情愛深く母親の勤めを果たしているが、男子継承者を授からぬ自分と、そもそもが
世継ぎしか念頭にないドライな公爵との間は、いよいよ危機的になっていることは感じて
いた。

夫は夫で、愛人を屋敷に同居させるし、社交界の対面ばかり気にするし、日頃大事にし
ているのは奥方よりも二匹の犬という身勝手さ。

 
5代目デヴォンシャー公爵とジョージアナ

政治思想も革新的で、支持政党の選挙活動への後援も積極的な彼女は、民衆からの評
判もなかなかのもの。それに、社交界のファッション・リーダー的な存在で、その美貌か
らも彼女は多くの取り巻きに囲まれる「ロンドンの華」である。夫に疎んじられる生活の
末に、彼女はチャールズ・グレイという政治家(後に首相)とスキャンダルを起こす。

 
公爵の愛人エリザベスと自分の愛人C.グレイ(後の首相)

夫の公爵は、愛人との関係を妻として認めるから、自分の恋人との関係も認めて欲しい
と迫る彼女に対して、前時代的な慣習を振りかざして対処するばかり。つまり、公爵家の
対面と男の社交界でのプライドである。女は世継ぎを産んで、家の奥で大人しく歳をとっ
ていれば良い、というわけだ。女性参政権をも視野に入れて活動している彼女にとって
は、真っ向から対立せざるを得ない考え方だ。

しかし夫の公爵は言い捨てる。「それにそもそも貴女は、男児出産という最大の務めす
ら果たしていない女ではないか!」と。

すべては鍵は、男児出産なのである。デヴォンシャー公爵家に男子継承者を授けるとい
う彼女の責務は、それほどまでに重い課題だった。

そして、ある日の舞踏会。ジョージアナは酔っ払ったまま登場する。様子を見ておかしい
と感じたホウィッグ党議員で従兄弟のC.J.フォックスが慌てて彼女の手を取り、踊りにエ
スコートするが、彼女は足元もおぼつかぬまま倒れ込んだ。

夫の公爵は「衆目の前で恥をさらすなんて!」くらいに思っていたのだろうが、彼女の治療
にあたった医者から、「懐妊」を告げられ驚く。

またしても娘が増えるばかりと半ば諦めていただろう公爵のもとに、こうして、待望の男
児がもたらされることになったのだ。

 

こうして、冷え切った公爵夫妻の間柄も、なんとか最悪の事態だけは避けられた。彼女
は、夫の愛人でブリストル伯爵の娘エリザベス・フォスターとも友情関係にあり、自分の
死後、彼女を公爵夫人として迎えるように夫へ遺言しているほどだ。

夫の公爵も、ジョージアナとチャールズ・グレイとの不義の子を、ちゃんとグレイ家へ渡し
て、養育を依頼しているくらいの寛大さ持ち合わせていた。

ともかく、彼女の男児出産という大手柄によって、18世紀英国のある公爵家の歴史は、
波乱もなく次世代への公位継承の大任を果たしたことになる。それなりのドラマはいくつ
も派生したが......



すべてデヴォンシャー公爵夫人ジョージアナの肖像画


そこで、このデヴォンシャー公爵家、これらのドラマを展開しての後、いかにして名門の
血を後代へつないでいったか、なんてことも気にはなる。系図を見ていると、ただ結婚・
出産、そして、また結婚・出産と実に味気のないファミリー・ツリーの枝々なのであるが、
こうして、少しでも、その家系のドラマに首を突っ込んでしまうと、なんとも「他人事」では
なくなるものだ。


で、イギリスのサイトにアクセスして見て、デヴォンシャー公爵家の家系図を開いてみる
と・・・・

William Cavendish(5th duke of Devonshire) = Georgina Spencer(dau. of Earl
Spencer) と先ずはある。つまり、5代目デヴァンシャー公爵ウィリアムとジョージアナとの
婚姻が確認される。問題は、その後だ。長女はカーライル伯爵へ、次女はグランヴィル
伯爵へそれぞれ嫁いでいるのが分かる。公爵をがっかりさせた娘たちもそれぞれ名門
貴族の家へ輿入れしたようだ。

そして、ジョージアナの立場を救い、公爵を小躍りさせた公位継承者である待望の息子
はどうなったか。

6代目デヴォンシャー公爵

William Spencer Cavendish(6th duke of Devonshire)とある。名をウィリアム。つまり
父親と同じ名を襲名したようだ。そして、目出度く、しっかり6代目デヴォンシャー公爵位
を継いでいるではないか!

なんか、ホッとする思いがこみ上げる。母親のジョージアナは彼が16歳の時に亡くなって
いて、その5年後に夫の公爵が他界しているから、彼女は息子が公位を継ぐまでは残念
ながら生きてはいなかった。

ともかく、5代目と結婚して立派に6代目を残したのだから、文句はないはずだ。

ところがだ。この系図には、7代目がない。厳密に言うと、6代目の下に7代目デヴォン
シャー公が記されていないのだ。彼女の息子である6代目は、若くして死去してしまった
のか? これはよくある話だ。貴族の子弟の宿命で、戦場という体験が必ず人生にはあ
る。そこで、不運にも戦死してしまえば一巻の終わりだ。また医療レベルの低い当時のこ
と、結婚して子を設ける前に病死というケースも多い。・・・・ しかし、この六代目ウィリア
ム、1790〜1858と生没年が記されているではないか。つまり68歳で他界している。若くし
て戦死もしてないし、若くして病死もしてない。

そこでよくよく見ると、肩書などの列記の後に、一言、付記されているではないか。

“unmarried”

なんと、この息子、「未婚」だったのだ....

ちなみに、当時の渾名が“The Bachelor Duke” つまり「チョンガー公爵様」だ。



だから、ここで、家系が断絶。7代目公爵位は5代目公爵の弟、初代バーリントン伯爵の
孫息子へ移ってしまった。ちなみにこの孫息子は、5代目公爵とジョージアナの長女とカ
ーライル伯爵との娘を娶っていて、8代目公爵もその子供が継承。追記すれば、9代目
公爵は、やはり5代目公爵とジョージアナの長女の曾孫が継いでいるので、この長女は
デヴォンシャー公爵家にとって大活躍だ。「なんだ、女の子か...」と5代目ががっかりした
娘だったのだが....

それにしても、男子継承者を得るために必死だった5代目公爵も、まさかこんな結末に
なるとは想定外だったろうに。彼は息子が21歳の時に他界したが、その後、この跡取り
が、結婚しないまま生涯を終えて、直系子孫に終止符をうってしまうなんて、英国屈指の
名門としてはあり得ない結末だ。

こんな結果が待ってるのなら、もっと社交界一の美貌の奥さんと面白おかしく夫婦生活を
送った方が良かったろうに。


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