第四話 ヘミングウェイの恋人アグネスの熱々な恋文とドライな日記の不思議


アーネスト・ヘミングウェイ

アメリカの冒険作家アーネスト・ヘミングウェイは、ハイスクールを卒業する
と、大学への進学は望まず、ジャーナリストを志していた。丁度その頃、ヨ
ーロッパでは第一次世界大戦が始まっており、アメリカの若者たちはこの
「本物の戦争」への参加を熱望しており、彼も例外ではなかった。そこで彼
は第七ミズーリ歩兵連隊を志願する。しかしこの部隊は州兵で国内に駐屯
しているばかり。業を煮やした若きヘミングウェイは、イタリア派遣の「アメリ
カ赤十字傷病兵輸送車部隊」の欠員募集に応じて、傷病兵輸送車のドライ
バーとして念願の「戦場」に向かった。イタリアだ。
1918年5月のことである。


       アメリカ赤十字の傷病兵運搬車      運搬車中の若きヘミングウェイ

彼はイタリアで勇猛果敢に戦ったアメリカ義勇兵みたいな「伝説」もある
が、実は、負傷兵の輸送や慰問物資運搬の任務についていただけだ。し
かも1918年7月、つまり6月にミラノに着いていたので、イタリア入りして数
週間ほど経った頃、オーストリア軍の迫撃砲で負傷、ミラノの赤十字病院に
入院となる。

      
Agnes Von Kurowsky  若きヘミングウェイ 国威高揚のイタリアのポスター
若き冒険家の熱い思いを戦場に求めた彼だが、こうしてあっけなく負傷して
しまうわけだ。しかし、この赤十字病院で彼は、アグネスという美しく快活な
七つ年上の看護師との恋に落ちる。その体験が「武器よ、さらば」のモチー
フとなったわけで、文学史にとっては幸いだったことになる。

           
 アグネス・フォン・クロウスキー             母方の祖父ホラバート准将

彼女、つまりアグネス・フォン・クロウスキーは、父親の代にアメリカ国籍を
とったポーランド系ドイツ移民だが、父方の祖父はポーランドの将軍であっ
たし、母方の祖父は合衆国主計総監サミュエル・B・ホラバート准将なの
で、なかなかの名門出だ。彼女は看護師として、ニューヨークで、ある医師
の恋人と生活していたが、赤十字に応募して、1918年6月にイタリアへ渡
ってきたばかりだった。

すでに渡航中、船上でベルギー人将校コリンズ中尉、ミラノ入りしてからは
イタリア軍のセレーナ大尉などと恋仲になっているところを見ると、アグネス
は冒険とロマンを求めるヘミングウェイ勝りの積極的な女性だったようだ。

ともかく、赤十字病院で面白おかしく生活していたへミングウェイ青年は、こ
の美しい年上の女性に夢中になってしまった。

  
     1918年ヘミングウェイ写真・当時の二人       当時の傷病兵運搬車(実物)

その内、アグネスの方もまんざらでもなくなり、七つ年下の彼を「キッド」(坊
や)と呼びつつも、熱烈なロマンスへと発展するのである。

ヘミングウェイからアグネスに宛てられた手紙は、後年、彼女の恋人となっ
たイタリア貴族が全部、燃やしてしまって現存していない。よほど嫉妬の炎
をたぎらせるような内容だったのだろう。ただ、彼女からの手紙は残ってい
る。こんな調子だ........

キッド、わたしのキッド

ああ、今夜あなたがいてくれたら、どんなに嬉しかったでしょう。わたし、あ
なたの肩にもたれて心ゆくまで泣きたかった。・・・・必ず私のもとに帰って
きてちょうだいね、私の坊や....あなたが恋しくて仕方ないんですもの。

    
映画の中の二人

愛の炎をかきたててくれるボイラーマン様

・・・・これもあなたを拒絶して、突き放した罰だわ。女はその報いを受けな
ければならないの。ああ。それでも、わたしはあなたを愛してる。だから、チ
ェリオ、またこんど。


ああ、わたしの大切な野生児

・・・・あなたの少しお馬鹿なアグネスより.....でも、わたしはまだあなたのも
のだから、蹴飛ばしたりしちゃだめよ。
                   アグネス....キッド....ミセス・キッド


ああ、キッド、あなたが日増しに恋しくなっているの。あなたが一人で帰国
しちゃうのかと思うと、身震いしてしまう。万が一、わたしたちが心変わりし
たら、どうなるのかしら? わたしにしろ、あなたにしろ。そうなったら、二人の
この美しい世界が失われてしまうわね?


病院でのヘミングウェイ

こんな特別な関係特有の陽気で情愛に満ちた手紙の数々が二人の間で交
わさせる。ヘミングウェイ青年はアグネスを笑わしたり、困らせたり、甘えた
りし、年下の「坊や」としての恋人を演じているし、アグネスもその元気でワ
イルドで甘えん坊の彼に、明らかに惹かれている自分を自覚していた。



アグネス・クロウスキーはイタリアで数多のロマンスを経験したのち、帰国し
てウィリアム・スタンフィールドと結婚。子はなく、1984年92歳で他界する。
夫は彼女を両親らの眠るある国立墓地に埋葬するため、とある人物に申請
の助力を頼む。その人物とは、イタリアの病院でヘミングウェイとも隣室だ
ったヘンリー・S・ヴィラードだった。彼もアグネスと当時少し交際していたこ
とがある人物だったが、帰国後も夫婦で交友があった。アグネスの夫はそ
の御礼として、すでに文豪として高名になっていたヘミングウェイと縁の深
かった亡き妻の、日記やスクラップ帳など貴重な遺品をヴィラードに寄贈す
る。

ヴィラードはそこに、当時(1918年)のアグネスの日記を発見。ヘミングウェ
イ研究家に彼はそれを提供し、こうして彼女の当時の「日記」が日の目を見
ることになったわけだ。


そこで、ヘミングウェイへ甘い恋文を送っていた頃の彼女の、プライベートな
記録が公にされたのだが、これがまた、手紙とのギャップが激しく、少し怖
くもなるのだ。


たとえば、1918年10月16日の日記にはこうある。

「きょうの午後、一夜を明かしたホテルにエイキン大尉が訪ねてきて、わた
しを車でアメリカ病院まで連れて行ってくれた....ここでわたしは赤十字の少
尉の介護を担当することになった。・・・わたしは夜勤。これだとフィレンツェ
の街を見てまわる時間が持てるので嬉しい」

そして、その同じ筆でしたためたヘミングウェイ青年への手紙。

わたしの愛しいスペイン男

・・・・あなたがわたしを恋しがっているのと同じくらい、わたしもあなたを、
あなたほど物狂おしくはないかも知れないけれど、恋しがっていることを忘
れないでね。・・・・愛しいあなた....こんなにも離れているあなた....でも、2年
という時間はもっと離れているわね。だから、わたしも我慢しなくちゃ。愛を
こめて.....いままでの倍も。


彼女の日記は何も淡々と日々の病院勤務のことを記しているわけでもな
く、それなりに赤裸な内心の吐露も書いてある。たとえば、ニューヨークに
残してきた恋人S医師(本名は未詳)に対する、自責の念などをくどくど書い
ていたり....。それなのに、一言も、この「愛しいあなた」については言及さ
れていないのだ。

 

また、続く10月17日の日記も・・・・

「雨が休みなく降りつづいている。いまは『シロッコ』(南東の蒸し暑い風)の
季節なのだ。街にはあまり出ていく気になれない。こんな陰鬱な夜は初め
てだ。・・・・患者のミスター・ハウは、寝返りばかり打っている・・・・」

そして、同じ日付の手紙。

愛しいキッド

あなたがびっくりするような、何か独創的な呼びかけの言葉を思いつけば
いいんだけど。でも、やっぱり、最初の思いつきに帰ってしまいます。もちろ
ん、あなたは“女のコたちの家出の原因”であり“わたしの存在の光”であ
り、“わたしの最良にして最愛の人”であり、“アーニーの中でも最高のアー
ネスト”であり、“戦時の黄金より貴重な人”であり、“わたしのヒーロー”で
あり、もっともっと、このページには書き尽くせないくらいの人です。・・・・夜
勤にあたっているわたしの姿を見せたいわ。いまは患者と二人きりなの。
ああ、あなたがここにいてくれたら、わたし、あなたの腕に飛び込んでいる
のに。・・・・
まいったわ、あたりがあまりに静かなものだから、わたしのペンが、頭上を
通り過ぎるカプロー二爆撃機みたいな音をたてるんですもの。
・・・・もし、雨があがったら、今日の午後には街に出かけてみるつもり。

愛してるわ、いつまでも。

           
カプロー二爆撃機       当時のフォード製搬送車   傷病兵運搬車ドライバー

患者と二人きりの陰鬱な夜勤の時間。いつもの日記のように、競馬やオペ
ラやパーティーのことを綴るように、また、3人の男性から愛を告白されたと
きのことや、セレーナ大尉のことをあれこれ書いたように、この年下の甘え
ん坊への想いをしたためても良いようなものなのに。

10月18日の日記には、フィレンツェ市内の観光のことと、イタリアに来て一
番、美味しいミルク・チョコレートの店を見つけたとか記している。そこにも
また、「キッド」のことは一言もない。

10月19日の日記には、憂鬱な雨日つづきのことにふれたついでに、雨の
せいで、隠遁者みたいな生活をしており、おかげで手紙ばかりよく書いてい
る、とある。これは彼への手紙(日に何度かのこともある)のことと思われる
が、それ以上は語られていない。

              
松葉杖のヘミングウェイ   自転車姿       当時の看護師らと兵士


それで、同日の手紙の方は・・・・

誰よりも愛しいミスター・キッド

なんだか騙されたような惨めな気分.....だって、昨日、あなたからの手紙が
一通も届かなかったんですもの。なんだか、急に、途方に暮れてしまって。
(で、ここで市内観光のことや、ミルク・チョコレートの店のことなど長々と)
・・・あなたが毎日手紙をくれないままなら、わたしも一日に一通の割りでは
書かなくなるかもしれない。そうしたら、話す相手がいなくなってしまう。わ
たし、本当にあなたのことを思っているのよ、アーニー。


それからも、熱烈にして微笑ましい手紙のやりとりが続いていて、一方で日
記は、まるで別人の手による日々の記録のように、淡々と書き記されてい
く。

このギャップはなんだろう? 七つも年上であることを最後まで気にしていた
アグネスの自制心だろうか。若きヘミングウェイは、本気で彼女との結婚を
考え、熱心にアプローチをかけていたらしいが、後年、彼女自身が語ってい
るように「好き」であっただけだったから、日記に熱い思いをしたためるほど
ではなかったのか。

 

ともかく、同じ個人の手によるもので、これほどイメージの違う資料も珍し
い。歴史学には史料批判というものがある。まずはオリジナル史料かどう
か、つまり後世の複製などではなく当時の公的記録や当人の書簡・日記で
あるかを問う一次史料の検討。そして、それが当人の偏った見解や私的意
見であるかを問う内的批判。しかし、アグネスの場合、およそ個人の感情
の問題なので、当人の手による一次史料であれば信憑性はクリアできる。

それなのに、内的批判を加えねばならぬ不可思議。つまり、どちらが真実
なのかを吟味しなくてはならないのだから、さすが女心は深遠だ。ヘミング
ウェイ研究家たちも、この「史料」には泣かされているだろう。


1919年当時のヘミングウェイ

そして、1919年3月7日のアグネスからの手紙で二人のロマンスは終わる。

親愛なるアーニー坊や

今は深夜ですが、熟慮した末にこの手紙を書いています。これを読んで、
あなたは傷つくかもしれないけれど、その傷はいずれは癒えるだろうと確信
しています。
あなたがアメリカへ向けて出発するまで、長い間、これは本物の恋なのだ、
とわたしは自分に信じ込ませようと努めてきました。なぜなら、心の片隅に
は常に疑いがあったから。・・・・あなたを好きだという気持ちは今でも変わ
りありません。でも、それは恋人としての感情というより、母親のような感情
に近いと思うの。
だからキッド(わたしにとっては、あなたは今も、これからもずっとキッドだ
わ)、わたしが結果的にはあなたを欺いてしまったことを、いつか許してくれ
る? ・・・・今にして思うと、最初にあなたから好意を持たれたのはわたしの
責任だと思うし、そのことは今、心の底から後悔しています。でも、今も、こ
の先も、わたしはあなたにとって、年上すぎるのよ。それはまごうことなき
真実だわ。

実は、信じてほしいの。これはわたしにとっても突然なことだということを。
わたし、近々、結婚しようと思っているの。もしあなたがすべてを冷静に考
え抜いてくれれば、わたしをきっと許してくれるでしょうし、あなたはあなた
で素晴らしい人生を切り拓き、あなたの真価を世界に示してくれるに違いな
いわ。心から望み、また祈っています。
変わらぬ敬意と好意をもって
あなたの友
アギー

最後の言葉は、それを読む彼にはただの儀礼的な言葉にしか感じなかっ
たろうが、今にして思うと、予言じみていて面白い。
こうして、「武器よ、さらば」のモデル、アグネスとの恋物語は終わる。若き
ヘミングウェイの淡き恋であった。年上の相手は冷静に二人の仲を静観し
ていて、最後には大人の女としての判断を下す。生涯を通しての熱情家の
ヘミングウェイにとって、それはフォッサルタ村で受けた迫撃砲弾の傷より
も、大きな痛手となったことだろう。



ともかく、その立ち昇る情炎は、名作「武器よ、さらば」として結実し、長く世
に残るわけだから、アグネスも、年下の男の子を袖にしたことを後悔しては
いないだろう。「やんちゃなキッド坊やが何をしでかすか気が気でないわ」と
彼女はいつもハラハラしていたが、失恋のあげくに、まさか自分が文学史
上永遠に名を残すことになる名作を、彼が書き上げるとは予想していなか
ったろう。




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