第七話 最新の研究結果が明かしたモーツァルトはセレブ?!説



24人からなる国際的モーツァルト研究チームが、このほど、晩年のモーツ
ァルトの財政状態を国内外のあらゆる資料を5年間にわたり調査した結果
が発表された。これには、調査過程で新発見された資料100以上も含ま
れるというから、信憑性も高いと言える。

それによると、モーツァルトの収入は、なんと15万ユーロに相当。円換算
で1900万円もの年収を得ていたという実態が判明した。またまた、晩年
は貧しく生活苦だったという「モーツァルト伝説」が、とんでもない話である
ことが詳らかになったわけだ。赤貧どころか、超セレブの収入を保持してい
たということになる。

      
       コンスタンツェ                     ベートーヴェン

ただし、彼は、高級アパートの家賃や酒宴や衣服などに莫大な出費を続け
ていたので、まぁ、金は残らなかった。妻コンスタンツェの手元には60グル
デン(円換算で60万円程度)しか残さなかったし、4000万円近い借金も
あったから、ご乱行ぶりは、どこかの芸能人なみである。円換算で1億円近
くの財産を遺したベートーヴェンとは比ぶべくもない。


フローリン(グルデン)を一万円で換算すれば、モーツァルトの年収は、17
88年が2060万円、89年で2158万円、90年が3225万円、そして死
の91年ですら3000万円という説もある。

  
    サリエリ           18世紀のウィーン            ハイドン

年収としては格段に高額だった宮廷楽長のサリエリですら年収2050万
円。エルテルハージー家の楽長として堅実にやっていたハイドンの1790
年の収入は760万円。当時のウィーンの売れっ子のピアニストの年収が大
体460万円。大学教授が300万円、小教区司祭で600万円、ウィーン総
合病院の院長で1200万円だ。(メイドに至っては12万円)



何より、当時のウィーンの中流階級が、500万円あれば1年間普通に暮ら
せた、というデータがあるのだから、今回の研究結果である1900万円が
事実だったとしても、(ましてや上記の2〜3000万円説なら尚のこと)彼
は、とんでもない高額所得者なのである。

  

彼は、3回の自主演奏会で1000グルデン、つまり1000万円を稼ぎ出し
ているから、ここに、なんとなく、彼の実像が見えてくる気がする。つまり、
売れっ子の芸能人なのだ。当たれば、とんでもない高収入。ちまちまと毎
日仕事をしているのがバカバカしくなるような、CM出演料やドラマ、映画、
ワイドショーのギャラが百万円単位で入ってくるような....。事実、演奏会、作
曲、レッスンなどで彼は稼いでいた。(1784年に彼は174件もの予約演
奏会あり)

 
父レオポルトと息子ヴォルフガング・モーツァルト

そういうヤクザな職業に就くことを懸念した父レオポルトは、息子にザルツ
ブルグでの安定職を奨めたわけだ。それは年収450万円を意味した。音
楽の都ウィーンで、パッとやってパッと稼ぐのを夢見た青年モーツァルトに
すれば、それは司祭の年俸にも劣る生活、つつましく堅実に生きるという
「クソ面白くもない」人生だったに違いない。

で、この根っからの芸能人気質のモーツァルト、まんまと父親の心配に反し
てウィーンで成功する。濡れ手に粟のごとく金が入る。そこで、さっそく結婚
もしたことだし、リッチな家にスーパーカーみたいな成り上がりセレブ丸出し
のライフスタイルを始めた。

                  
現存する唯一のモーツァルトの住居(ドームガッセ五番地)

7つの部屋があり、二頭の馬がつなげる厩舎まである貴族なみの家。それ
もシューラー・シュトラッセという高級住宅街に居を構えた。ここの家賃は年
額で460グルデン、つまり460万円。ザルツブルグでの彼の年俸に匹敵
するのだ。(それを父レオポルトは娘ナンネルへの手紙で嘆くが、さもあり
なん) この年額家賃を月割りにすれば、38万円相当。これはまさしく、六
本木ヒルズのA・B棟クラスに同じである。

少し成功した起業家や売れた芸能人が、こぞって「ヒルズ族」になりたがる
のと同じ現象だろう。

若くして売れっ子になった芸能人らが、収入をせっせと貯蓄して、売れなく
なってからの蓄財をしておこう、などとは考えないのと同じように、当時の彼
は、高収入を、家賃のみならず、あれこれとパッパッと消費してこの世の春
を謳歌する。

  

衣装代だけでも年間400グルデン、つまり父親推奨の「堅実な生活」をす
るための年間収入相当額を、彼は衣服の新調に注ぎ込む。そして、彼好み
の派手派手しい上着を身につけてのパーティー。これには、年収の17パ
ーセント相当が充てられたというから、ざっと320万円か。これは今回の研
究チームが彼の高級アパートに店を構えていたワイン小売商の価格表を参
考に算出した結果らしい。先輩ハイドンの年収全部を、酒宴と衣装道楽に
費やしていた計算になる。


こうして見ると、モーツァルトって、現代にも散見できる「売れっ子」の典型
のような生活観。かなりイメージが変わってくる。

彼は宮廷室内作曲家というポストを1781年に与えられたが、これは年俸
800万円。名誉職みたいなもので、大した仕事はないのに、この収入。彼
の「芸能活動」には好都合の肩書だったろう。(この役職は宮廷の常設の
職務ではなく彼のために用意されたもの。彼が宮廷から認められていなか
ったという伝説も否定される)

  

父の取り越し苦労もよそに、確かに彼はウィーンで成功し、実収入もかなり
なものだった。しかし、父親の不安は、結局は的中することとなる。つまり、
彼は、そこそこの貴族でも一晩で身を亡ぼすほど危険な当時のギャンブル
熱におかされた一人であったし、また、酒も女も浪費も、大富豪なみにお盛
んだった。こうした、彼の性質は、ついには家計の収支を破綻させる。

  

最終的には、フリーメーソン仲間のリヒノフスキーから1435万円、プフベ
ルクから1415万円、そして金融業者のラッケンバッヒャから1000万円相
当の借金を残したまま彼は亡くなる。家も、ラントシュトラッセの郊外へ引越
し、今度は家賃年額50万円。ヒルズから築10数年のワンルームに転居、
みたいなものだ。彼は、その転居の理由を一言も父親に語っていない。た
だ父親は、「容易に推測できるよ」と娘に語っている。

 
この最後のラウエンシュタインガッセの住居(2階)は、現存しない。

収入の浮沈によって彼は合計11回も引越し、ラウエンシュタインガッセ970
番地のアパートが最後となる。でも、ここはそこそこ立派なアパートで、家
賃年額275万円。つまり月々だと22万円だ。借金は借金として、都心部
の3LDKマンションに住み続けているようなもので、浪費癖のある者にはよ
くあることだ。



こうして、「西洋史おもしろ話集・少年少女のためのモーツァルト物語」でも
書いたが、次々とモーツァルト青年の実像は、意外なイメージへ更新されて
ゆく。もともと意図的に創り上げられた「モーツァルト像」だったためだが、
私としては、今のイメージの方が好きである。

人々に理解されぬ不遇の天才の生涯....なんてものより、派手に稼いで、派
手に浪費して、人生を謳歌し、多くの珠玉の名作を書きまくって、コロリと死
んでしまった男。....という方が、なんとも好ましい。

彼の作品のそれぞれの美しさは、ただそれだけで真実なのだから。






戻る
戻る