第六話 逃亡犯にうっかり手を貸した鬼検事



フランス大革命と言えば、ギロチン(断頭台)である。革命裁判所は、179
3年4月から1794年6月までの間に、1251名を処刑したが、その後、審
理不要の略式裁判が許されると、47日間で、1376名を処刑。凄まじい様
相を呈した。結局1万6千人を短期間で処刑したという革命政府。まさしく
恐怖政治だった。

  
フーキエ・タンヴィル         1793年の革命裁判所      映画の中のフーキエ・タンヴィル検事

その革命裁判所の検事として、共和制への反対者すべての弾圧を一手に
任された執行官であるアントワーヌ・フーキエ・タンヴィルは、情容赦のない
非情の検事として仮借なく人々をギロチン送りにしていた。

パリのラベイ・サン・ジェルマン、レ・マドロネット、ポール・リーブル、ラ・コン
シェルジュリー、ラ・フォルス、サント・ぺラジーといった監獄は、哀れな容疑
者らの悲しみに満ちた悲鳴にあふれ、処刑広場のギロチンは、彼らの人生
を毎日、不気味な落下音と共に寸断していた....。国王もマリー・アントワネ
ット王妃も、例外ではなかった。

 
監獄での処刑勧告

ロベスピエールらの政府は、ささいな言動や旧体制下での身分や職歴によ
って、あらゆる人々を「潜在的反革命分子」として警戒し、捕縛し、投獄。そ
して、略式裁判でギロチン台へと送った。捕らわれた人々は、厳重に収監
されて、「その日」の来るのを待つしかなかった。

 
革命裁判所でのフーキエ・タンヴィル検事        ギロチン刑

そんな恐怖政治下の革命裁判所で、フーキエ・タンヴィル検事は、ともかく
容疑者らに「有罪」と宣告し、黙々と処刑。冷酷にして無情な裁きを下す
「悪魔の検事」と化していた・・・。


そんなある日、最も監視の厳しいラ・コンシェルジュリー監獄の廊下を、フー
キエ・タンヴィル検事は、大股でせかせかと歩き回りながら、誰かを探して
いた。

彼は、その日、大量の残務をかかえており、とても夕飯時までにドーフィー
ヌ広場にある我が家には戻れそうになかった。そこで、女房に、「先に食べ
ててくれ」という伝言を伝えるべく、適当な使者を探していたのである。

   
    ラ・コンシェルジュリー監獄とその廊下  当時のコンシェルジュー牢の鍵

すると、彼の目に、廊下の壁にそって静かに歩いている監獄の鍵保管係員
の制服を着た男の姿が映った。

ここの下っ端の役人だ。丁度良い。自宅まで女房への伝言の使い走りを命
じよう、と彼は思った。

「おい、おまえ、どこへ行くのだ」と彼は呼び止めた。
「は、はい」と鍵保管係員は鬼検事殿の呼びかけに、もごもごと応える。
「仕事が終わったので、休憩しに行くところです」

「私が誰だか分かるか?」念のため、フーキエ・タンヴィルは訪ねた。
「裁判所の偉い検事様を知らぬ者がここにおりましょうか」と係員。
「では、私の家は知っているかね?」と検事。

「お宅から出勤なさるのを見たことがありますし、手紙をお届けに行かされ
たこともあります」

検事は笑顔になる。「ならば、頼みを聞いてくれ。私の家へ行って、今日は
仕事で遅くなるから、先に夕食は食べててくれと家内に伝えてもらいたいの
だ。いいかね?」
「ですが、検事殿」と保管係はおずおずと言った。「この時間にここから外へ
出るのは守衛が許してはくれませんよ」

確かにそうだった。マリー・アントワネット王妃も幽閉されたこの牢獄、そう
易々と人の出入りを認めるはずもない。

   
 ラ・コンシェルジュリー監獄

そこで、彼は監獄の潜り戸のところまで、この鍵保管係員を連れて行くと、
衛兵らに向けて声も高らかにこう告げた。
「文書課の仕事での外出だ。速やかに通せ!」

あまり見ぬ顔だったが、検事殿の直々の命令とあって、衛視らも手早く門
戸を開放し、その係員を外へ出した・・・

そして、その夜も遅く、フーキエ・タンヴィル検事がドーフィーヌ広場の家に
帰宅すると、彼の妻は、食事もとらず、料理を温めながら彼を待っていた。

聞けば、そんな伝言をたずさえた使いの者は来なかったと言う......。

翌朝、検事が昨日の鍵保管係員を見つけ次第どやしつけてやろうと監獄に
出勤すると、看守のリシャールが血相を変えて報告にくる。

  
ラ・コンシェルジュリーの看守・囚人部屋・囚人たち

「大変です。本日、裁判にかけられる娘の行方が分かりません! 亡命貴
族どもに手を貸していた容疑の娘です」

「そんなはずがあるものか!」フーキエ・タンヴィルは、ここの厳重な監視体
制を充分に知っている。「ここから外へ出れるわけがないではないか。しっ
かり捜索したのか!」
「百方、探しましたが、これがどこにも見当たらないのです」とリシャール。
「ふざけたことを言うな、リシャール。捜索を続行せよ!」
 検事は鬼の形相で看守を怒鳴りつける。

ところで、あのふとどきな鍵保管係員のことが気になっていた彼は、さっそ
く所轄の部署へ赴き、あの若い係員の出頭を命じた。

すると、なんと、そのような係員はいない、というのだ。
そのかわり、ある鍵保管係員が昨日、自分の制服が何者かに盗まれたと
言うではないか.....

検事は背筋が寒くなる。

あの廊下で出会った物静かな係員、こともあろうに自分の命じた用件も果
たさずに夜の巷に消えた人物、しかも容姿風体を説明しても該当するよう
な係員はいないという.....

そして、この脱獄不可能なラ・コンシェルジュリー監獄から、本日裁判の女
囚がひとり姿をくらませたという.....


ラ・コンシェルジュリーの女囚

徹底調査の結果、その亡命貴族の共犯罪で裁かれる予定だった娘は、ど
うやら鍵保管係の制服を盗んで着込み、監獄から外へ抜け出す方法を探し
ていたところを、フーキエ・タンヴィル検事の私用をおおせつかってまんまと
外へ出て、そしてそのまま逃亡した・・・という線が、極めて濃厚となったの
である。

こともあろうに、ギロチン送りの即決機関の鬼検事が、ラ・コンシェルジュリ
ー監獄からの脱走に一役買わされたわけだ。


Antoine Quentin Fouquier de Tinville 

フーキエ・タンヴィルは極めてばつの悪そうな様子で、こう言ったという。
「結局、彼女は大した罪ではなかったようだし、おそらく、どの道、私は彼女
を無罪放免にしていたろうから、結局は同じことさ」と。



「しかし」とこの事件をノートに記録していた鍵保管係のルイ・ラリヴィエー
ル氏は最後に付記した。「もしもこの瞬間、彼女が捕縛されて連れ戻され
てきたら、彼は平気で、即座に彼女をギロチンへ送ったことだろう、と私は
確信している」



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